■怒涛の出産

めいたんのうまれたときのこと。 ちょっぴりおもいだしてみた。 平成15年7月28日。 さいこうだぜ。



2003年7月28日。その日は突然やってきました。妊婦ちゃん

臨月に入ってからも、仲間と共に1日1km、週3日もマタニティースイミングに通い、
トドのようなおなかを抱えてバタフライまでする毎日。
思えば出産前日まで、泳ぎ倒してたんです。スゲ~。
妊娠以前より運動してましたね。
間違いなく....。

経過が順調ならば、妊娠は病気じゃないという言葉どおり、
よっぽど無茶しない限り、日常生活で出来ないことは何一つないということを
自分の妊娠出産で実感しました。
その日も仲間とプールのあと、四条にくりだす約束までして
行く気マンマンだったんですが・・・・。

予定日を過ぎた友達に、『今日のカキ氷食うまでは産まんといてや~!!!』
なんて言ってた自分が。

おしるし→陣痛?

みたいなものを夜中から感じはじめてたんです。



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この日、ダンナが夜勤でひとりぼっちの私。
夜中1時くらいだったかなぁ。
寝る前にトイレに・・・・・と思ったら、『ん?コレはもしや・・・』
という、ウワサのおしるしらしきもの発見。

そういや生理痛に毛の生えたような痛みが下腹部にありました。
でも、まさかコレが陣痛の始まりだなんてこの時は夢にも思いませんでしたね。

『これが陣痛かなぁ?って迷ってるうちは絶対陣痛ちゃうで~!
前駆陣痛やわ。陣痛ってのは、迷いなんか吹っ飛ぶくらいやから
迷ってるうちはマダマダ!!!!鼻クソやで。』

。。。。と、私の大好きな助産師さんが常々言っていたので
『陣痛かなぁ?どうかなぁ?』
と迷ってた私は、ま、おしるしあったし2~3日中にはこの腹をボコボコ蹴り倒してくれる
暴れん坊の我が子と、ご対面できるのかも♪♪

と、のんきに考えておりました。



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とにかく元気に五体満足で生まれてきてくれるかなぁ
という心配はもちろんありましたが、
出産そのもに対してはそれほど心配していなかった私。

妊娠したということは、産む力があるということだと思うし、
もともと女性が何千年と繰り返してきた営み。
その自然の力にまかせていれば
女として産まれた私にも出来ないはずはないというか何と言うか。

赤ちゃん自身の生命力も素直に信じていたし
よほどのことがない限り、大丈夫だろうという、根拠のない自信があったんです。
アンポンタンで良かった。(笑)



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アレ?
と思ったのは、それからず~っと、痛みが少しづつ大きくなってきて
眠れなくなった時。
横になっても眠れないもんだから、興味本位でうわさの陣痛の間隔とやらを計ってみたんです。
痛みはそんなになかったんですよ。生理痛です。生理痛。
きゅ~っとなったりおも~くなったりする程度。

ん?
ちょっぴりバラつきはあるものの、

も、も、も、も、もしかして~!!!!!
なんですよ。
3分~15分くらいの間で、ばらつきはあったけれど
コレは陣痛に違いナイ!
と自分で確信を持ったのは朝方7時くらいだったかな。


それまではもしかして?そうなの?どうなの?
と思いつつ、妙に興奮してきて、眠るどころではありませんでした。
といっても痛くて痛くてどうしようもないという訳ではないから
テレビで唯一やってた世界水泳かなんかの中継を
一人でつまみ食いしながら見てた記憶アリ。


まだまだ全然へっちゃらだった私は、まさかまだまだだろうけど、
もしもの時のために・・・・・
と、陣痛の合間に食べれるようにと夜中なのに一人で
ウキウキでおにぎり握ったり、お弁当作ったりみかん用意したり。。。。。。
まるでピクニック気分♪

なんだったんでしょう。あのワクワク感は。


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8時で仕事が終わるダンナに、へんにメールとか電話しても
あせって飛んで帰ってくるだろうな~。と思い
その夜は無連絡。

8時すぎにそろそろ電話つながるな~。という時間を見計らって
即電話。



『あ、もしもし?あたしだけどさぁ。もしかして、来たかも。』


『ウソや~ん!!!!』
(絶叫)

って言うや否や、となりにいたであろう先輩に『う、う、産まれるみたいですぅぅぅぅ!!!!』

って叫んで走り出してましたね。ダンナ。


ほどなくして帰って来たダンナと共に一応病院に電話してみると

『う~ん。初産やしねぇ。まだだと思うけど、一応一度来てみる?』
と言われて、ダンナの運転する車で病院へ向かったのでした。

そういえばダンナが家に帰って来るやいなや、
私の顔を見てドキっとしたのか、ちょっと驚いた顔でひとこと。

『なんかさぁ。初めてみる顔やわぁ。
 きっと今、女性ホルモン、バンバン出てるんやろなぁ。』

・・・だそうです。

どんな顔してたんだろ?ちょっと興味ありますね。

出産編へつづく。。



立会い出産だった我が家の怒涛の出産。痛みを忘れる才能が女にはあるってよく聞くけど・・・本当かも。産んだ瞬間から、あまりのかわいさにもう一人産みたくなりましたよ。私。(笑)


病院に入ったのが10時頃だったと思います。  妊婦ちゃん             

私はかねてから分娩台や会陰切開に疑問を持っていたので
病院はか~な~り選びました。

仰向けで寝るのすら苦しかった臨月の日々。
どう考えてもあの分娩台ってのは理不尽なんですよ。妊産婦にとっては。
なんであの形になったかって、あれは多分、赤ちゃんを取り上げる先生にとっては一番楽なんでしょうね。
ただでさえしんどいんだから、産婦さんに優しい体勢で産みたいってのは
とても自然な感情だと私は思うんですが・・・・




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会陰切開しないと、へんに裂けて治りが悪くなるというのは医者の常套文句ですが、
そうでもないんですよ!
ベテランの助産師さんいわく、稀に。本当に稀に会陰の伸びが悪くて切った方がいいなぁという人もいるんですが、
ほとんどの人はそんな必要ないんだそうです。


要は切った方が分娩時間は短くなるので、お医者さんは楽なんですね。
ゆっくりゆっくり、時間をかけて自然に伸びるのを待って産ませてもらえれば、切る必要なんてないんです。
だって、そんな技術のなかった昔の人はどうしてたと思います?

だから促進剤を使ったり、分娩中に何か異常があって即赤ちゃんを取り出さなくてはならなくなった場合は
もちろん必要な処置なんでしょうね。
自然に体が分泌するホルモンによって、普通は会陰はのびてくるんですが、
薬の力によって進められた陣痛にはついていけませんから。


出産した友達を見てて、本当に、出産そのもの以上に
この会陰切開の傷が本当につらそうだったのをイヤというほど見てきた私。

もしもこれから出産される方がいたら、会陰切開しなかった私。
産後もみんなが驚くほどメッチャ元気でしたよ!産後は本当に楽です!
同じ病院で産んだ友人もたくさんいますが、やはり大半は会陰切開ナシですね。
みんなケロッとして、隣で眠る赤ちゃんと、おっぱいとの格闘に専念できてました。(笑)
帝王切開の場合は仕方ありませんが、会陰の傷がなければ、本当に体が楽なので。是非考えてみて欲しいと思います。


よって私はNO会陰切開&和室分娩です。
そうです。畳の上の布団の上で産みましたよ。



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昼過ぎ。この頃にはさすがの私もひーこら言い出しておりまして。
夜勤明けのダンナに腰をさすってもらい、肛門グーで思いっきり押してもらい
あれしろこれしろと、色々命令してたような気がしますねぇ。(^^;)

でもこのあとの一言。私は一生忘れません。
こともあろうにうちのダンナ様。
妻の一世一代の大勝負の真っ只中に、

『俺、ちょっと家帰って風呂掃除してくるわ。』

って抜け抜けと言いやがったんです!!!!

『はぁ?!風呂掃除だぁ?!』
ふざけんな~!!!(# ゜Д゜)ゴルァ~


叫びましたね。
風呂なんぞ後からいくらでも洗えんだろ。アホタレ!
今目の前で苦しんでる妻の腰押せ!!!ケツ押せ!!!アホチンが~!!!!

もうなんか色々言った気がしますね。(笑)
今思えば、なんでダンナもあんな事言ったのかさっぱり分かりませんが
やはり見たこともない苦しみ方をする嫁の姿に、思わず動転したみたいです。

よく立会い出産のダンナが失神するなんて話を聞いたりしますが、
男ってやつぁ。まったく。( ̄w ̄)



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結局、ウキウキ気分で夜中に作ったにぎり飯なんて、食えたもんじゃありませんよ!奥さん!
呼吸法って、実は心のどこかで『んなもん練習なんてしたって無駄だよ。深呼吸で十分だよ。』と思っていたふしがあり
マタニティスイミングでもちょっぴり鼻で笑いながら、おなさけ程度に練習してたんです。

えぇえぇ。
まったく役に立ちませんでした!!!(笑)

ひっひっふ~。
なんて無理無理無理!!!ひたすらひたすら深呼吸ですよ。奥さん!


助産師さんにうながされるまま、トイレに行ったのがいったい何時だったのか。
もう私にはわかりません。
ここで事件は置きました。
うわさの破水です。

破水って、もちろん字面では知ってたけれど、もうビックリしましたよ。私。

だってだって。


『パンっ!!!』って、本当に風船が割れたみたいに
目ん玉飛び出しそうになるくらいの音がしたんですもの!!!!


と、同時に・・・・・

臭くないおもらしですよ。ありゃぁ。
三十路突入してから、あのいや~な股の間にもれる感覚味わうなんて夢にも思いませんでしたよ。

しぇぇぇぇぇっ!!!
と思って助産婦さんの名前叫びましたよ。便所の奥から。



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ここからはもうまさに怒涛の出産劇。
先生も助産婦さんも、こんなに早くお産が進むなんて思ってなかったみたいで
このあと子宮口を調べてみてビックリ仰天。
タバコでも吸いに行ってたのか部屋を出ていたダンナに向かって

『お父さ~ん!!!大~変~ん!!!もう出てきはるぅぅぅぅぅ!!!』
って叫んでましたね。
後から聞くと、この時すでに頭が見え隠れしてたらしいですわ。
私は初めての事でなんのこっちゃさっぱり分からないのですが、痛みの中で
なんかウ○コ出そうな感覚に襲われ、助産婦さんに

『どうしよ。ウ○コ出そうなんですけど、もう一度トイレ行っていいですか?』
って聞きました。

えぇ。助産師さん爆笑。
『ウ○コちゃんちゃうで。赤ちゃんやで~!!!!』


だそうです。
もうすぐ会えるんです。三十過ぎて人前でウンコちびる事、心配してる場合じゃありませんでした。



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そっからは本当にあっちゅう間でした。
でも破水の後の痛みだけは強烈でした。それまでの陣痛はハナクソですよ。
思い返せばですが。


そして。
まさにちゅるんと産まれてきました。我が子。めいたん。

あの、産声を聞いた瞬間の感動は、
一生忘れません。
そのまま胸に抱かせてくれた時の、あの温かさも重さも、
絶対に忘れません。

ふと横を見ると、ダンナ。



(TOT) 号泣。



それからゆっくりゆっくり、みんなで新しく仲間入りした家族をかわるがわる抱き
何よりも大切にしたい最初の数十分とやらを、さっそくおっぱいくわえさせて
ずっとずっと抱かせてもらいました。

この時、誰も教えてないのにおっぱいに向かってはいあがろうとする赤子。
その吸い付く力の強さに驚きました。
すごい力なんです。まさに生命力ですね。きっと。



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あまりに早いお産だったので、出産に間に合わなかった院長先生。
遅ればせながら登場したのは、ダンナがめいたんのへその緒を切る時でした。

口は悪いが、腕と気はイイこの院長。
この日も『いや~。ダークホースやなぁ自分!他の経産婦さんたちもごぼう抜きやで~!』
と、満面の笑みで部屋に入ってきましたよ。


でも、終わってみれば本当に安産だったらしく
初産なのに分娩所要時間わずか5時間と記載されておりました。

分娩室で先生や他の家族たちに囲まれながら、
『今すぐにでも、もう一人産めるな。コレなら。』と、
先生に太鼓判押されましたよ。

うん。
でも、許されるなら、もう一度。やってみたいですね!

お産。                                

妊婦ちゃん




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